罪の倫理 気づきにくい不幸の原因-やさしい倫理シリーズ⑧
倫理研究所編
新世書房/定価 ¥900(税込)
新書判 220頁
人間は集団(社会)を形成し生活しています。
集団生活を維持するために、法律上の規則を作り、
違反者には多くの場合、その罪に対する罰則や刑罰が与えられます。
法律上の罪に対し、倫理上の罪は、
違反したからといって刑罰が与えられるものではないので、
理解しにくいものです。
また、当人は良かれと思ってやっている事が、
実は相手や周囲に対して悪い結果をもたらしている場合などは、
これまでは罪として明確に指摘されてきませんでした。
こうした、知らず知らずに犯す罪を、
倫理研究所の創立者・丸山敏雄は「美しき罪」と命名し、研究を重ねました。
著書『実験倫理学大系』の第二章第六節では、
「倫理生活における罪の実証」として倫理上の罪を「破約の罪」「怠惰の罪」
「私的感情の罪」「隠蔽の罪」「詐欺の罪」「人を困らせる罪」
「性をみだす罪」「物に関する罪」の8つに分類し詳述しています。
本書は、そうした倫理上の罪について「美しき罪」を中心に、
それが人生の幸不幸とどのようなつながりを持つかについて、
具体的な事例を交えてお伝えします。
何かにつけ遠慮して他人に譲ることが美徳と思っている人がいる。自分からさっさと行動すればいいものを、「私は結構です」と引き下がる。(中略)
ある会合での出来事である。役員改選の際に、ベテランの幹部が突然辞任を申し出た。予期しない事態に当惑した中心者はあわてて若い後任者を任命して、どうにか態勢を整えた。ところが後になって当人が「遠慮して辞めると言ったのに、引き止めてくれなかった。やめさせられた」と上層部に訴え、騒ぎが大きくなったのである。一人のために組織は大混乱である。(中略)
本人は謙遜の美徳のつもりだろうが、そのためにどれだけ周囲が迷惑を被っているか。スムースに流れるはずの高速道路を渋滞させているようなものである。(中略)
純粋倫理の重要な実践に「即行」がある。気づくと同時に実行することで、スナオの実践の第一歩である。これは言い換えると正直ということだ。遠慮してすぐに実行しないのは自分の本心を偽ることであり、それが罪となるのである。肝心なときに第一感がひらめかなくなるばかりでなく、本当のことが言えない人間になっていく。本心を明かさない人を信用するわけにはいかない。(「第二章 性癖における『美しき罪』」より)
Tさん夫婦は学生時代から音楽を志し、長い交際の末結婚した。夫は放送合唱団に加入。妻は音楽講師として生計を立てた。夫と妻の垣根を越え協力しあう、友達のような楽しい生活を送っていた。
ところが、結婚五年目に三人目の子を妊娠したとき、妻は現在の不安定な職業と収入に不安を覚え、〈合唱団をやめて高校の教師になって欲しい〉と願うようになる。この妻の突然の申し出に、夫は困惑した。「私をとるの! 合唱団をとるの!」とつめよられ、夫は観念して教師に転職。
このときから、万事計算どおりの結婚生活が崩れだした。夫が酒におぼれ始めたのである。酒を飲んでは物にあたり散らす。子どもはおびえ、喘息ぎみの長女に発作が起きる。(中略)
夫の気持ちや感情を無視して、一方的に妻の考えを押し通したところに根本原因がある。(中略)妻は、家庭のため子どものためという大義名分を楯に、自分が間違ったことをしたという意識がない。(「第三章 知らず知らず重ねる妻の過失」より)
法律上の罪は、法律を知らなくても、犯せばそれは罪であり、
違反者にはいやおうなしに罰則が科せられますが、
倫理上の罪もこの点は同じです。
「大自然」がこれを見逃さず、赤信号(苦難)という形で反省を求められることを、
本書では多くの事例を通して伝えています。ぜひご一読ください。
相手に感謝されない働き、即ち、相手(又は物)を苦しめたり、困らせたりする働きを「倫理上の罪」といい、逆に相手に喜ばれ、感謝される働きを「徳」という。この白(徳)が多いか、黒(罪)が多いかによって人生の勝負が決まるのであるから、「倫理上の罪」は、人生の不幸に直結しており、どんなに努力して、よかれと願っても、罪を犯しながらでは前進しないのは当たり前である。むしろ、なぜこのような不幸に見舞われるのか、原因が分からないのは、こうした罪の現れであるケースが多いといってよい。(「終章」より)
人は、他人の間違いや欠点はよく目につくが、自分の間違いにはいっこうに気づこうとしない。自分は正しく生きていると思い勝ちである。が、これが己の成長を阻んでいることに気がついていない。
自分の至らなさを思い知っている人のほうが救われる。真剣に生きようとする。罪も同じで、罪の深さを自覚したときから、自己の変革が始まる。即ち、「罪の自覚」が真人生開眼の第一歩と言ってよい。このことは、本書に挿入されている多くの体験談が雄弁に語っている。(「あとがき」より)
《目次より》
序章 積もり積もって罪となる
第一章 罪の自覚と新生へのみち
みんな罪びと/大自然の目はごまかせない/真人生への第一歩
第二章 不幸の源泉となる性癖
性癖における「美しき罪」/肉体に現われた性癖上の罪
第三章 家庭をこわす妻の罪・夫の罪
知らず知らず重ねる妻の過失/女性軽視こそ性をみだす源/生命力を枯らす性の罪
第四章 自立できない子どもたち
伸びやかな芽を摘む錯覚の愛/子の行く手を左右する親の生き方/親が罪の種を蒔き、子が収穫する/子ぼんのうという名の支配欲
第五章 嫁姑の葛藤と生命の継承
婚家の人間になりきれない/「人生の先輩」の三つの罪/生命の流れを絶やす罪
終章 消罪が産み出す生命力
よいことの積み重ねが徳となる/消罪の念が産む巨大なエネルギー/目に見えない「徳積み」のたまもの
倫理研究所ホームページ内
「倫理の本棚(オンラインストア)」よりご購読いただけます。
われ、日本をかく語れり 倫理文化研究叢書5
竹本忠雄著
倫理研究所/¥3,500(税込)
A5判上製 367頁
世界中のあらゆる文化の基盤に立ち、
多様な倫理現象の調査や倫理思想研究の蓄積により、
現代の人間に生き方の指針を与える力を持った倫理学を構築する――。
倫理研究所のめざす「倫理文化学」はそうした“夢”を内包しています。
その実現へ向けて、多様な研究成果を計画的に刊行する、
「倫理文化研究叢書」の5作目となる本書は、
著者が長年にわたる研究と、海外で発表した、
「日本の精神文化」についての講演録と・対話集です。
文芸・美術評論家であり、
20世紀中期を代表する作家、アンドレ・マルローの研究者としても高名な著者は、
11年にわたりパリに滞在して執筆や講演活動を行ない、
ヨーロッパ各地で正しい「日本」を伝える啓蒙活動に心血を注いできました。
出国に先立って日本の精神文化復興を念ずる駆け出しの評論活動に入っていたので、パリ生活でも意識はその延長線上にあった。日本での専攻はフランス文学で、コンクールもその部門で受けたが、内面は「日本的霊性」とは何かの問いでいっぱいだった。
パリはフランスを発見させてくれるところではない。自国を、おのれ自身を発見させてくれる場である。その力たるや大したもので、おそらくそれはローマ文明の後継として「ユニヴァーサル」たらんとする意志と矜持からくるものかもしれない(中略)文明の空気が働くからである。愛にも似て、それは、「分かってくれる」という歓喜を掻き立てる。こうして私は一つの国と深い交わりの関係に入り、その国の言語で己自身を、日本を語ることに云いがたい愉悦を感じ、それを「使命」と感ずるまでになっていた。(「緒言」より)
文学・芸術の研究者であると同時に、
誇り高き「日本人」であるという矜持が、
著者を東欧での啓蒙活動へと駆り立てました。
「収斂」をキーワードに、
異なる指標を持つとされていた東西の文化が、
神秘的、霊的思想において同質化されていく意義や必然性を論証した講演は、
ヨーロッパ各地で大きな反響を呼びました。
「講演編」には、著者の50年間のフランス語講演録の中から、
碧眼の聴衆を感動させた5講演を精選し、和訳して収録しています。
「対話編」では、アンドレ・マルローのほか、
バレエ界の巨匠、モーリス・ベシャールとの対話を収録。
フランスを代表する二人の知性が、日本で見つめ体験した、
神性や霊性について語っています。
解説では、
宮崎大学准教授の吉田好克氏が次のように綴っています。
若くしてフランスから与えられた栄誉(昭和五十五年、文芸騎士勲章受賞)にしても、アンドレ・マルローの篤い信頼を勝ち得たことにしても、アカデミー・フランセーズ文学大賞受賞作家オリヴィエ・ジェルマントマ氏との間に結び得た強い絆にしても、それらは、先生の卓越したフランス語力を別にすれば、多くのフランス文学者とは異なり、先生が西洋文学や芸術の研究の傍ら、確固たる日本人であろうとされ、自国の文化や歴史について――愛と矜持に裏打ちされた――研鑽を絶えず積んで来られたから可能であったということです。(中略)
ジェルマントマ氏もその著書『日本待望論』において、竹本先生について次のように書いています。「彼なしでも日本を発見できたでしょうが、しかしそれは、彼の深い視線のお蔭で知った日本とは絶対に別物となっていたでしょう」と。(「校訂者解説」より)
大地震による津波に限らず、政治外交上の問題も含め、グローバル化の荒波により、
日本はあらゆる意味で浮沈の瀬戸際に立っていると著者はいいます。
日本文化の防人として異国で孤軍奮闘してきた著者が、
自国の文化を、ルーツを、本質を、
国際社会で伝えることのできる人材の育成を願い、
襷を次世代の若者に託す思いで本書を著しました。
ご一読ください。
《目次より》
緒言
講演篇(一)
『雨月物語』と日本の幻想世界
「国際スタイル」のかなた―日本現代版画展に寄す
象徴と神話―日本文化の展開
文化の対話―ヨーロッパと世界
武士道と日本的霊性―武蔵の場合
講演篇(二)
アンドレ・マルローと那智の滝―宇宙よりのコンフィデンス
序言 ベルナール・フランク
序論
第一章 芸術と死
第二章 芸術と霊性
第三章 芸術といのち
第四章 いのちと宇宙
対話編
日本における死 アンドレ・マルローとの対話
輪廻転生と三島由紀夫 モーリス・ベジャールとの対話
付録
『アンドレ・マルローと那智の滝』原著への評価
竹本忠雄 ヨーロッパ活動年譜
校訂者解説
「倫理の本棚(オンラインストア)」でご購読いただけます。
竹のごとく―丸山竹秋の「耐え抜く力」に学ぶ
丸山敏秋著
新世書房/定価¥1,000(税込)
B6判 240頁
昭和の敗戦後、
焦土と化した日本において、道義の再建を掲げて決然と立ち、
たった一人で倫理運動と呼ばれる社会教育運動を創始した丸山敏雄。
敏雄の死後、45年にわたり倫理運動を牽引したのは長男の丸山竹秋でした。
昭和26年12月に倫理研究所の理事長を継ぐと、
昭和41年からは静岡県御殿場市に、
「富士高原研修所」「丸山敏雄記念館」「富士倫理学苑」を相次いで開設。
晩年には地球倫理を提唱しました。
平成11年に逝去するまでに書き残した膨大な研究論文は、
倫理運動における貴重な知的財産になっています。
本書は、丸山竹秋の生き方や業績を丹念に振り返りながら、
そこに通底している「耐え抜く力」を浮き彫りにします。
思えば、現代人は耐える力、耐性がめっきり衰えてしまった。便利な文明の利器に囲まれ、物の豊かさと安楽を追い求める生き方が好ましい、とされてしまったからだ。欲求が容易にかなうことに慣れさせられてしまったからだ。しかし、そのような生活は、砂上の楼閣に等しい。ひとたび電気が、食料の供給がストップしたら、今のような生活はたちまち崩れてしまう。
そのとき、果たして耐えられるか。そもそも耐え抜くことなしに、ほんとうの幸福が味わえるのだろうか。
丸山竹秋の人生をかえりみると、少年期から耐え抜くことの連続だった。実父でもあり恩師でもある丸山敏雄の導きにより、忍耐を超えた喜びを追求するという課題も与えられていた。それがどういうことだったのかを、これから辿っていこう。(「プロローグ」より)
第一章「父と子の軌跡」では、
丸山竹秋の幼少期から倫理研究所理事長に就任するまでの、
父と子のそれぞれが遺した日記や歌、小説を覗き見ながら、
「耐え抜く力」が培われた軌跡を見つめます。
第二章「忍耐をどう超えるか」では、
倫理研究所理事長として、
45年間にわたり続けた「倫理の研究」にスポットを当て、
その思想や信条、研究姿勢を紐解きながら、
一貫不怠の精神がいかに発露されてきたかを追っています。
第三章「耐え抜いて生きる」では、
偉ぶらず、高ぶらず、
質素を喜び、尊び、簡素を愉しんだ生き方について、
私生活のエピソードと著書や短歌を通して見つめるとともに、
晩年提唱した「地球倫理」との接点について探ります。
人生はまさしく、いろいろである。自分には、この人生より他に人生はない。しかし他者の人生を謙虚に学べば、そこから、わが人生を創造していく貴重な糧を得ることができる。その人物を、胸中にどれほど生き生きと甦らせるかが、学びの深さに比例するのだ。(中略)
人はみな、それぞれの境遇において、耐え抜きながら生きるのだ。耐えることなしに、真の生きる喜びは得られない。耐え抜いていけば、悪路も拓けていく。仕方なく我慢するのではない。心持ちを切り替えつつ、希望や使命感を抱いて耐え抜くとき、忍耐は歓喜に変じる。(「エピローグ」より)
激動の昭和を「耐え抜く力」で生き抜き、
倫理運動の柱として守成の業に徹した丸山竹秋は、
生涯にわたり「学び」続けました。
本書はそうした学びの記録の一つであり、
現代を生き抜く上で多くの示唆を与えてくれます。
ご一読ください。
《目次》
プロローグ
第一章 父と子の軌跡 ― 耐え抜く力はいかに培われたか
悲しき別離
強められた父と子の絆
帝都から戦場へ
軍務に耐える
運命の決断
第二章 忍耐をどう超えるか
一貫不怠の研究
忍耐は是か非か
忍耐から世界平和へ
第三章 耐え抜いて生きる
質素を尊ぶ生き方
質素な生き方を生む思想
昭和天皇の耐え抜く力
昭和天皇と地球倫理
エピローグ
倫理研究所ホームページ内
「倫理の本棚(オンラインストア)」で販売しています。