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倫理の本棚ブログ

倫理研究所の出版物をご紹介します。

戦士の道と純粋倫理 倫理文化研究叢書2

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高橋 徹著
倫理研究所/¥3,500
A5判上製 366頁

 

著者は、アメリカの文化人類学者カルロス・カスタネダ(1925~1998)の著作に、
長年にわたって親しんできました。
カスタネダ著作の多くは、北米先住民の末裔にあたる、
ファン・マトゥスを中心にして展開されるルポタージュであり、
北米・南米のサブカルチャー研究に、少なからず影響を与えたといわれます。

本書は、著者がその原書と翻訳書を30年にわたり行き来しながら研究した、
ファン・マトゥスの思想及び
メキシコのシャーマンに受け継がれる知の体系である「戦士の道」と、
「純粋倫理」を比較検証しながら、
それぞれの本質に光を当てることを意図しています。

 

 もう少し総合的に、この二つの体系の共通性や相違について、整理してみることにした。

 この際の方法論は、次のようなものである。すなわち、前者の「戦士の道」の解説を試み、それをもとに純粋倫理を構成する内容や細目を照らし出す――それにより、純粋倫理に対する新しい見方や、その現代的な価値や意義を問い直すという方法だ。(中略)

 このようにして、戦士の道と純粋倫理の二つを対比させることによって、単独では見出せなかったそれぞれの本質を、素顔を、引き出すことが本書の目指すところである。(序章「本書の意図」より)

 

宇宙と人間の関係性、肉体とエネルギーの関係、
心の状態と肉体の関連性、苦しみに対するとらえ方、
性の神聖さと夫婦の一致など、
11項目に章立てして、戦士の道と純粋倫理の接点を探ります。

 

 われわれの小我は日常的な社会生活の中で育まれた「肉体と自分を同一視する自我」である。あるいは「肉体の中にいる小さな私」である。メキシコのシャーマニズムは、この小我という仮面をはずし、別な第二の仮面をつけることを目的とすると言う。では、第二の仮面とはどのようなものか? それは、大我―小我という図式をもとにして言えば、おそらく大我との関連で見出される「私」である。
 このようなメキシコのシャーマンたちの考え方は、敏雄の述べる「名代の倫理」に極めて近い。敏雄は、小我と大我をそれぞれ「内なる自分(内の私)」と「外の自分(外の私)」と呼び、次のように述べる。

 内なる自分は、もって生まれたどうすることも出来ぬ自分であって(中略)、きじ(生地)であるから、どうしようもない。(中略)こうした地質は取り替えがきかぬ。
 外の自分は、自由である。ひろい、やわらかい、たやすく変わる。(中略)

 こうした自由自在で、どうにでもなれる外の私が、うちの私と入れ代わる。なりたいもの、ありたいものに入れ代わる。これが「名代の倫理」の基礎である。
 新しい倫理の実践は、一にすなおの一本路を前進して、ことごとに内の小我をすて、己以外の偉大者につく道ゆきである。

(第十一章「外皮とツミの皮」より)

 

世界地図において、
日本を東の端とすれば、北米・南米大陸は西の端です。
数千年にわたり遠い異国で伝承されてきた知識や技術と、
70年にわたり日本で実践・実証されてきた生活法則との共通点とは何か。
現代人にも寄与する普遍性の根本はどこにあるのか。
倫理文化学の構築へ向けて、
新たな探究の入り口を示します。

 

《目次より》
序論 
第一章 宇宙は光の繊維に満ちている
第二章 「エネルギー」の観点から考える
第三章 「個人的な力」について
第四章 我慢と忍耐
第五章 苦しみに対するとらえ方
第六章 性の神聖さと夫婦の一致
第七章 完璧さと生活の緊張
第八章 二つの心と二つの体
第九章 反復と恩
第十章 「内部の対話」と「沈黙の知」
第十一章 外皮とツミの皮
あとがき

 

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