倫理の本棚ブログ

倫理研究所の出版物をご紹介します。

丸山敏雄と日本 倫理文化研究叢書4

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丸山敏秋著
倫理研究所/¥3,000
A5判上製 343頁

 

倫理研究所の創設者・丸山敏雄は、
日本の古代史や神話を専門的に研究する研究者でもありました。
神話に由来する日本の國體こそ、
敏雄が生涯を賭して追及し続けた対象であり、
國體を深く研究することで、
「純粋倫理」と呼ぶ生活法則の基盤を見出しました。

第一部「國體と神話―丸山敏雄が挑んだもの」では、
丸山敏雄が遺した未完の著『天皇制の研究』と『奇蹟の研究』を中心に、
戦前の國體をめぐる状況や、
敏雄が生涯の恩師と仰いだ倫理学者・西晋一郎の國體観を踏まえながら、
天皇および皇室と「国民の倫理」のあり方を考察します。

 

 大きな共同体の枠組みとしては国(国家)がある。多民族国家であろうと、ほぼ単一民族による国家であろうと、そこには国民が共有する倫理、すなわち「国民の倫理」が存在する。歴史や伝統の中で自然発生的に生じた倫理(無意識的に機能する倫理)から、かぎりなく「法」に近い規範として機能する倫理(作られた倫理)まで、その中身は多様であるが、「国民の倫理」が存在しない国はない。

 「もったいない」と物品を粗末にしない態度は(中略)物品を「(神仏からの)頂きもの、授かりもの」として受けとめた質素倹約を尊ぶ倫理的行為だといえよう。そうした倫理観や倫理的態度は、ささやかなことかもしれないが、独特な国民性を築き、社会システムを形成する上でも少なからず影響する。

 自分の得た金品を私物とせず、賜り物として有り難く拝受する精神と行動は、きわめて倫理性が高く、一定の国や民族という条件を超えた普遍性を持ち得るのではなかろうか。そしてそのような精神性が、グローバル資本主義が荒れ狂った後の今日ではとくに強く求められているのではないだろうか。金品を「賜り物」と受け取る倫理精神と態度に立つとき、どのような社会システムが構築できるだろうか。かつて日本にあった「皇国」という意識や國體思想(かならずしもそのすべてを肯定できるとはかぎらないとしても)を再検討することで、見えてくるものがありはしないか。(第一部「丸山敏雄と『天皇制の研究』」より)

 

第二部「影響と比較―丸山敏雄をめぐる人たち」では、
敏雄の思想形成に大きな影響を与えた西晋一郎、
敏雄と同じく戦後の混乱期に「道義の再建」に獅子吼した天野貞祐
敏雄が宗教の道を歩んだ時代の同輩であり、
弾圧事件により長い裁判を闘う同士であった湯浅真生を採り上げ、
それぞれが追求した「日本または日本人の在り方」を比較しながら、
丸山敏雄の思想について探究していきます。

 

 西晋一郎の学問はもともと哲学的な理論研究よりも実践に重きが置かれ、わけても倫理道徳の実践こそが最重要であるとされる。実践とは地に足を着けたものでなくてはならない。われわれが生きる地平とは、なによりもまず家であり、国であった。実践的な倫理学者として、西は積極的に国家のありかたについても論じ、明治国家における倫理実践の原理を追求しつづけた。(第二部「西晋一郎における道徳と教育」より)

 人間は各々の持ち場において、職分において、道理を実現していく実践者(創造者)である。何人も自分は無意義な存在であると考えては力強く生きられない。自分自身が道理の媒介者であると考えることによってはじめて、人生を力強く歩める。自分の器量に従って道理の実現に努力するところに人生の意義が存在すると同様に、民族や国家も道理の実現においてその存在の意義があると天野は説く。
(第二部「道理の感覚に根ざした道徳論」より)

「ひとのみち」教団の場合、修養道徳の面が強く印象づけられる。(中略)救済に至るには受けての信仰心だけでなく、確かな実践力が不可欠とされる。丸山敏雄も湯浅真生も、教団が教える個々人の実践に基づいた救済力の大きさに魅了されたのだ。(第二部「宗教との出会いに至るまで」より)

 

生涯にわたり日本あるいは日本人の在り方を真摯に追求しつづけ、
万人普遍の生活法則として「純粋倫理」を発見・研究・唱導した丸山敏雄。
丸山敏雄という人物を通して、見えてくる日本があります。
ご一読ください

 

《目次より》
緒言

第一部 國體と神話―丸山敏雄が挑んだもの

 序 節 丸山敏雄と『天皇制の研究』
 第一章 日本の國體思想概観
 第二章 丸山敏雄の國體観
 第三章 丸山敏雄の幽顕観―「出入幽顕」の語をめぐって

第二部 影響と比較―丸山敏雄をめぐる人たち

 第一章 丸山敏雄と西晋一郎
 第二章 丸山敏雄と天野貞祐―「道徳の再建」をめぐって
 第三章 丸山敏雄と湯浅真生―「ひちのみち」入信の動機と過程の比較考察

 

本書は倫理研究所ホームページ内、

倫理の本棚(オンラインストア)」よりご購読いただけます。

 

希望の倫理 朝の来ない夜はない-やさしい倫理シリーズ⑨

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倫理研究所
新世書房/定価¥900(税込)
新書判 234頁

 

人生には順境もあれば逆境もあります。
突然、思いもよらない事態に突き落とされることもあります。
たとえそれが他人に因るところであっても、
そこから脱出するのは自分自身であり、
そこからさらに向上するのも自分自身です。
そして、その脱出や向上の原動力となるものは、
“希望”ではないでしょうか。

純粋倫理を創唱した丸山敏雄(1892~1951)はこう述べています。

 

「うまく行かぬから、望みを失うのではない。望みをなくするから、崩れて行くのである」

「悲観は、雲である。憂いは、霧である。さわやかな希望の薫風で吹きはらおう。燈火をあかるくしよう、そして高く掲げよう。燈を太くしただけ、高くかかげただけ、必ず前途は打ち開ける」(まえがきより)

 

本書では、個人、家庭、社会、そして地球環境の4つの分野にわたって、
「希望の倫理」を詳述します。
それは、身に降りかかる“危機”をどう受け止め、
いかにしてそれを脱して、再生をはかり、
向上していくのかという実践のありようにほかなりません。

以下は、突然自分をおそった「いじめ」に悩みながらも、
たった一人で5年の歳月をかけて乗り越えた少女の例です。

 

 ある日、「おはよう」と元気よく教室に入っていった小学校四年のS子さんに、誰も返事をしない。追い討ちをかけるように、蔭での悪口が始まった。

 いじめは次第にエスカレートしていった。上履きがなくなる、机の中のものがなくなる、そしてそれがさらに暴力へと変わっていった。

 〈自由になりたい。もうこれ以上いじめないで〉

 声にこそ出さなかったものの、心の奥底で毎日泣き叫んでいた。次第に無口になり、自分ひとりの殻に閉じこもるようになった。(第一章「かけがえのない私」より)

 

いじめる側への恨み、憎しみがつのるばかりで、
人間不信に陥り、ついには自殺も考えはじめたS子さんでしたが、
五年生になったある日、
当時倫理研究所が催していた「少年日曜朝のつどい」に参加します。
同じような年齢の子供たちに囲まれ、
久しぶりに誰からもいじめられることなく、
心から笑い、楽しく過ごしたS子さんは、
それまでの自分の消極さが無性にいやになってきました。

 

 〈よーし、今まで何をされてもじっと我慢していたけれど、これからはすべてに積極的に行動していこう〉

 まずつどいの中で子どもたちの世話を始め、リーダーの言うことを素直に聞き、進んで実践をした。その成果が徐々に現われ、両親にもきちんと挨拶ができるようになった。

 中学生になってもいじめは続いていた。しかしS子さんの心には「もうみじめな生活はイヤ」という強い意志が芽生えており、なんとか現状を打開しようと必死の思いでいた。友達には「おはよう」「ありがとう」「ごめんね」というように、はっきり口に出してコミュニケーションをとるよう努めた。たとえ返事が返ってこなくてもとにかく続けたのだ。

 一ヵ月二ヵ月と過ぎ、中学二年もあと少しで終わろうという頃、「おはよう」と返してくれる友達が出てきたのである。通り過ぎるその後姿を見ながら、ジワーッとうれしさがこみあげてきた。その数は次第に増えていき、「あなたを誤解していたわ」と言って、積極的に話しかけてくれる友人も多くなった。もちろん彼女からも積極的に話しかけたことは言うまでもない。(第一章「かけがえのない私」より)

 

絶望的な状況にあって、
ただ心を閉ざして嘆いているだけでは状況は変化しません。
少しでも切り開こうと意を決する。
思うようにいかない境遇であればあるほど勇気百倍でぶつかる。
そんな目の前の一歩を踏み出そうとするところに大きな志が生まれることを、
S子さんをはじめ、本書に収められた体験の数々が教えてくれます。

 

 心に希望を燃やす、それは、それぞれの明日への挑戦なのだ。明日が来ることを信じて疑わず、目の前の一歩に喜んで進んで全力を注ぐ命の燃焼と言い替えてもいいだろう。

 改めて言おう。夜が明けたから、日が出るのではない。日が出たから夜が明けて、天地が明るく、万物が生き生きと活動を始めるのだ。日とは己の心だ。太陽のように赤々と燃える心である。その心に照らし出されて周りの物すべてが燦々と輝き出すのである。(「あとがき」より)

 

《目次》

序章 希望を胸に前進を

第一章 かけがえのない私
劣等感を味方にする/ハンデキャップは本当にハンデか/夢がパワーの泉になる/目の前の一歩を踏み出す

第二章 灯をともすのは自分
「今」の一所懸命は未来への財産/一人ひとりが燃えたときに

第三章 病と共に生きる
病は何を意味するのか/生命あるところ希望あり

第四章 家庭に新風を吹き込もう
家庭を明るくできますか/積極行動で家庭が変わる/家庭って何だろう

第五章 コンベア社会に体当たり
自律する勇気が「今」を打ち破る/便利社会の見失ったもの/管理社会からの脱出

第六章 命のバトンランナーとして
自然破壊と現代人/「地球共生体」の一員として/相互理解から始まる/地球時代がやってきた

終章 はじめに情熱あり
ガン制圧に取り組む人々/燃やせ、希望という太陽を

 

倫理研究所ホームページ
倫理の本棚(オンラインストア)」で販売しています。

悲嘆からの贈りもの―最愛の肉親の死を乗り越えて

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倫理版グリーフワーク研究チーム編著
新世書房/定価¥700(税込)
B6判 144頁

 

 「人間は生まれたときから死に向かって歩き、そして死は人の定め」であります。理屈ではわかっていても、その死が最愛の肉親のものであれば、遺された家族は事実をきちんと受け止められないまま、ただ悲しくて、淋しくて、苦しい思いをどこへぶつけていいかもわからずさまよい、果ては自分を責め、その後の人生を狂わせてしまうこともあるでしょう。
 死を見つめるという行為は突き詰めると、いかに生きるかを学ぶことであります。(「はじめに」より)

 

肉親との決別は、誰もが経験する通り道です。
しかし、遺族がその死を受け止め、悲嘆を癒し、
心の整理を終えるまでには相応の時間を要します。

そのような遺族の社会復帰(心の再建)を図る一連の営みを、
一般的には「グリーフワーク(悲観の癒し、悲哀の仕事など)」と呼びます。
本書を著した「倫理版グリーフワーク研究チーム」は、
文献調査研究および遺族への聴き取り調査研究によって、
純粋倫理における悲嘆を癒す特徴的な取り組みを抽出しました。
一般的なグリーフワークプログラムの役割は、
「遺族が悲嘆を癒し、新たな生きがいを発見するまでの伴走者」
であるのに対し、
同研究チームのめざすグリーフワークはそれらに加えて、
「故人との関わりを積極的に持ち、さらに絆を深めるとともに、肉親の死を契機として遺された家族の成長を促す」ことを視野に含みます。


本書の第一章では、
倫理版グリーフワークの方途とその効果・作用について詳述しています。

第二章では、最愛の肉親を亡くされた方々が、
その深い悲しみをいかにして受け止め、悲しみを癒し、
前向きに生きるに至ったかについて、
20件以上の聴き取り調査の中から5例を紹介しています。

そこには、悲嘆に暮れる日々の中から、
純粋倫理の学習と実践により亡き人の存在を身近に感じ、
〈(亡くなった肉親は)なお、私たちを支えてくれている。本当に幸せだ〉と、
肉体はなくとも人の「いのち」の永遠を確信し、
さらに、〈今までより(精神的に)一段上の生活ができるようになった〉と、
自らの生へのエネルギーを強くするに至った成長の過程が刻まれています。


本書を通して、自分を責め続けて来られた遺族の方々が悲嘆を癒し、
人生における再出発の第一歩を踏み出すきっかけとなることを願います。

 

《目次より》

はじめに
 「倫理版グリーフワーク」の確立へ向けた研究の経緯
 純粋倫理における死生観
 一般的なグリーフワークとは

第一章 悲しみを癒す倫理的方法とその効果
 
一、悲しみを癒す倫理的方法

 二、倫理版グリーフワークの方途とその作用
  【一】「故人への語りかけ」の実践
  【二】「故人の遺志を引き継ぐ喜びの働き」
  【三】御霊に対する積極的な「感謝」の実践
 三、「ありがとう」は死別の準備教育的実践

第二章 体験に学ぶ
 「ある朝、十四歳の娘が逝きました」
 「突然の交通事故で息子を喪って」
 「働き盛りの夫は七人の子を遺して逝きました」
 「二十二歳の娘が突然、交通事故で」
 「高一の次男が急性心不全で」

終章
 簡単には解明できない死の問題
 一般的なグリーフワーク完了の基準
 肉親の死は、己の人生再構築のはじまり

 

本書は倫理研究所ホームページ内、

倫理の本棚(オンラインストア)」よりご購読いただけます。

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